大関魁皇が引退した。1972年7月24日生まれで、同年齢の貴花田と同期入門、角界同期生には若花田、大海(曙)、和歌乃山、力櫻がいる花の63年組である。1990年夏入幕の貴花田、同年秋入幕の曙、若花田に遅れて、1993年夏場所初入幕する。1995年初場所から13場所連続で関脇に在位するも大関昇進は叶わなかった。この時大関になれていたら、魁皇は横綱になっていただろう。その後2000年夏場所悲願の大関に昇進し、2004年までは横綱昇進が期待されたが叶わなかったのは、年齢的にピークを過ぎていたからと思う。若乃花は2000年春、曙は2001年初、貴乃花は2003年初場所に引退しており、それぞれ晩年は衰えが目立っていたことを考えると、魁皇は稀に見る長寿力士だった。2005年以降は大関の地位を維持するのが精一杯だった。相撲協会は支度部屋への携帯電話持ち込みを禁止して、昔は八百長は存在しなかったことにしてるが、星の貸し借りによる番付維持は、相撲の歴史とともに存在したと思う。ガチンコ力士は番付が維持しにくく短命に終わる。角界では番付地位と収入が比例する傾向にあるので、八百長力士のほうが高収入を得られることになる。大相撲が消滅することは無いだろうが、世間の興味の対象から外れてきているのは確実である。
続・女子サッカー
2011年07月19日 (火)
前回五分と五分と予想した女子サッカーワールドカップ決勝は、大熱戦の末なでしこジャパンの優勝で終わった。私はサッカーはあまり興味が無く、男子のワールドカップでも深夜や早朝の試合をわざわざ見ることは無い。今回は準々決勝のドイツ戦に勝ったので、準決勝のスウェーデン戦から見始めた。3-1で圧勝した日本の強さに驚き、決勝は仕事前だが、午前3時40分に目覚ましを仕掛けて観戦した。アメリカの敗因は、リードすると攻撃から守りに回ること、追いつかれると気分に動揺をきたすことだったと思う。そのため、日本に2度追いつかれ、PK戦でミスを連発することになった。主観では、決勝の立役者は宮間選手だと思う。深夜早朝観戦は2004年のアテネオリンピック女子マラソン以来だが、あの時も野口みずき選手が金メダルを取った。
女子サッカー
2011年07月15日 (金)
なでしこジャパンは、18日午前3時45分からアメリカと女子サッカーワールドカップの優勝をかけて対戦することになった。過去の対戦成績では日本の0勝22敗3分けだが、準決勝を見た限りでは今回は五分と五分と見ている。アメリカでは、女子サッカーが盛んで、良家の子女の嗜みとして女子の3人に1人がやっているという。この人気を生みだしたのが、ミア・ハムである。オリンピック女子サッカーでアトランタ金、シドニー銀、アテネ金を獲得したハムは、美貌と実力を兼ね備えたスターとしてコマーシャル出演で経済的成功をおさめる。また当時アレックス・ロドリゲス、デレク・ジーターと並ぶ3大遊撃手だったノマー・ガルシアパーラと2003年に結婚するというシンデレラストーリーを歩む。ガルシアパーラは故障がちで引退したが、ロドリゲス、ジーターは健在である。日本の女子サッカー代表選手は平均年収150万円といわれているが、今回の快挙で大幅改善するのではないか。
緑内障の作家
2011年07月13日 (水)
緑内障は健常範囲を超えて上昇した眼圧により、視神経乳頭が障害され、視野・視力などの視機能障害を起こす病気です。統計では、40歳以上の成人の5パーセントが発症し、血縁者に発症者がいると、25パーセントの発症確率になるとされています。2002年の統計による日本人の失明原因の1位が緑内障(24%)、2位が糖尿病性網膜症(20%)、3位が加齢性黄斑変性症(11%)です。ちなみに、欧米では加齢性黄斑変性症が1位、世界全体では白内障が1位です。世界でもっとも稼いだ作家モダンホラーの巨匠スティーブン・キングは、緑内障を患っているといわれています。キングの作品は映像化されているものも多いが、映画評価の高いのは「スタンド・バイミー」、「ショーシャンクの空に」、「グリーンマイル」といったシリアスドラマ系の作品です。今後は「ダークタワー」の映像化が予定されており、監督はトム・ハワードに内定してます。追伸、「ダークタワー」は製作中止になったようです。
熱中症
2011年07月07日 (木)
7月5日熱中症になった。炎天下を歩いて、多量の発汗の水分補給にアイスコーヒーの1リットルパックを飲んだのが悪かった。甘さで気分が悪くなり、脱水症状と足の痙攣を起こした。何とか家までたどりついたが、意識朦朧の状態で歩くのもやっとだった。食事もとれず、6日はやっとの思いで仕事に行ったが、体調、気分とも不安定だった。7日になってようやく回復してきた。今回の反省点としては、まず無理は禁物、水分は早めに補給、塩類も補給することが必要の3つを痛感した。今思うともう少し無理をしていたら、死んでいたかもしれない。熱痙攣、熱疲労、熱射病の順にひどくなるが、熱疲労には当てはまっており、熱射病までいったら、多臓器不全でやられた可能性もあった。皆さんも、熱中症には十分に注意してください。
ピーターフォーク
2011年06月30日 (木)
ピーターフォークが亡くなった。テレビドラマ「刑事コロンボ」で世界的人気を得たこの俳優は、3歳で腫瘍のため右目を摘出している。おそらく網膜芽細胞腫と思われる。網膜芽細胞腫は乳幼児の眼球内に発生する悪性腫瘍である。私は映画「ポケット一杯の幸福」、「大反撃」などで、コロンボ以前からフォークは知っていた。いわゆるB級脇役だが、独特の個性があった。「刑事コロンボ」は45作、「新刑事コロンボ」は23作ある。私は旧シリーズは45作全て見てるが、新シリーズはほとんど見ていない。脚本、ゲスト俳優の豪華さなどで、新シリーズはかなり見劣りするのだ。医者が犯人の回が「溶ける糸」でレオナードニモイがゲストだった。手術の縫合糸に体内で溶ける糸を使い殺人を企てようとするが、コロンボに見破られ、再手術で普通の縫合糸にすり替えようとする。溶ける糸はなんとコロンボの手術衣に隠すが、土壇場で見つけられる。なおコロンボの愛犬はバセットハウンドという種である。
続待合室
2011年06月30日 (木)
久しぶりの更新です。テレビの視聴予約機能は、自宅では全く使ってないが、待合室では利用価値があると思った。あらかじめ予約をしておけば、チャンネルを変えなくても自動的に予約した番組に切り替わるので、忙しい時ほど重宝する。ためしに6月26日BS11ウルトラQを予約したが、ちゃんと切り替わっていた。今後はどんどん活用したい。待合室の雑誌についてもテコ入れすることにした。医食同源の言葉どうり、食を中心とした生活情報誌ということで「クロワッサン」、「オレンジページ」をとることにした。私の母は中華料理が得意で、ガラからスープをとったラーメンや、ニラと大蒜の入った餃子を作ってくれたが、どこの店で食べるよりもおいしかった。小学生の私は、ラーメンなら麺2玉、餃子なら30個とご飯茶碗3杯は食べていた。家庭料理にめぐまれた子供時代は、食に関してはとても幸福だった。
待合室
2011年06月14日 (火)
当院の待合室には40インチの液晶テレビが置いてある。待合室のどの椅子からも画面が見えるように据えてある。私は地方の非常勤で働く機会も多かったが、在来線の貧相な待合室と対照的に、新幹線の待合室はゆったりしていて液晶テレビが置いてあった。料金による待遇の差だろうが、テレビは乗り換え時間を待つ間良い息抜きとなった。そして患者さんのために、待合室には必ず液晶テレビを置こうと考えるようになった。コマーシャルが嫌いなのでNHKの地デジとBSしか映さないが、圧倒的にBSが多い。スポーツライブ中継、ドキュメンタリー、映画を中心に考えて、毎日NHKオンラインの番組表をチェックしている。子供さんには、縫いぐるみ、玩具、絵本を置いてある。雑誌は世代による偏りが無いように配慮が必要である。時計は時報で音楽を奏でるカラクリ時計だが、診察室にいても耳で時間がわかるという思わぬ効用があった。今後も、さらに居心地の良い待合室にしていきたい。
エディット・ピアフ
2011年06月10日 (金)
エディット・ピアフは1915年パリの貧民地区ベルヴィルに生まれた。幼いころから祖母の経営する売春宿に預けられる。3歳から7歳まで角膜炎で眼が見えなかったと言われているが4年間の失明は考えにくく、おそらくきわめて衛生状態の悪い環境から慢性的に細菌性角膜炎をおこしていたのだろう。その後大道芸人の父親に連れていかれ、小学校にも通っていない。16歳で結婚し女の子を産むが、子供は2歳で小児性髄膜炎で亡くなる。20歳でナイトクラブのオーナーに見出され、歌を歌うようになる。その後はジャン・コクトーら多くの有名人と知己になり、「ばら色の人生」などで大成功をおさめる。戦後は世界的な人気を得て、各国で公演旅行を行う。アメリカ公演では、大女優マレーネ・ディートリッヒと知友を結ぶ。妻帯者の世界ミドル級王者マルセル・セルダンと大恋愛し、彼のために「愛の賛歌」を書くが、1949年セルダンは飛行機事故で亡くなる。1951年自動車事故に遭い、その後痛み止めのモルヒネ中毒に苦しむ。深酒で体を壊し、1963年、47歳で癌で死去する。先日BSプレミアムで「エディット・ピアフ愛の賛歌」を見た。主演のマリオン・コティヤールが大熱演で、アカデミー主演女優賞を受賞している。晩年の演技は見事だが、若い無名時代は映画制作当時30歳を過ぎていたので苦しい感じがする。幼女役・少女役の子役も良く、少女時代に大道で「ラ・マルセイエーズ」を歌って歌手への一歩を踏み出すシーンは感動的だった。見て損は無い映画である。なおマリオン・コティヤールは「インセプション」でレオナルド・ディカプリオの夢の中に出てくる自殺した妻を演じている。
トミー・ジョン手術
2011年06月05日 (日)
ボストンレッドソックスの松坂がトミー・ジョン手術を受けることになった。この手術は、肘の内側側副靭帯の損傷を補強するため、主に長掌筋の腱を採取し、肘付近の骨に5箇所の穴を開け、腱を8の字に通して結ぶ。腱は靭帯より細いが、移植するとしだいに太くなり、運動に耐えられるようになる。投手では実戦復帰までに1年以上を要する。1974年にフランク・ジョーブによって考案され、日本のスポーツ整形外科でも行われている。トミー・ジョンは初めてこの手術を受けた投手の名前で、彼は、通算288勝のうち164勝を手術後に挙げている。当初の成功率は1%未満とされていたが、現在では90%と言われ、メジャーリーグ投手の9人に1人はこの手術を受けていると言われている。レッドソックスは松坂をポスティング入札金5111万ドル、6年契約総額5200万ドルで獲得しており、1年あたり1719万ドルになる。現実の成績は、最初の2年はまあまあ、次の2年は不振、さらに今後の2年は登板不能である。投げられなくても給料は契約上保証されている。ボストンにとっては、高い買い物だったと言うしかない。松坂の穴うめウェイクフィールドの年俸は200万ドルである。