エディット・ピアフは1915年パリの貧民地区ベルヴィルに生まれた。幼いころから祖母の経営する売春宿に預けられる。3歳から7歳まで角膜炎で眼が見えなかったと言われているが4年間の失明は考えにくく、おそらくきわめて衛生状態の悪い環境から慢性的に細菌性角膜炎をおこしていたのだろう。その後大道芸人の父親に連れていかれ、小学校にも通っていない。16歳で結婚し女の子を産むが、子供は2歳で小児性髄膜炎で亡くなる。20歳でナイトクラブのオーナーに見出され、歌を歌うようになる。その後はジャン・コクトーら多くの有名人と知己になり、「ばら色の人生」などで大成功をおさめる。戦後は世界的な人気を得て、各国で公演旅行を行う。アメリカ公演では、大女優マレーネ・ディートリッヒと知友を結ぶ。妻帯者の世界ミドル級王者マルセル・セルダンと大恋愛し、彼のために「愛の賛歌」を書くが、1949年セルダンは飛行機事故で亡くなる。1951年自動車事故に遭い、その後痛み止めのモルヒネ中毒に苦しむ。深酒で体を壊し、1963年、47歳で癌で死去する。先日BSプレミアムで「エディット・ピアフ愛の賛歌」を見た。主演のマリオン・コティヤールが大熱演で、アカデミー主演女優賞を受賞している。晩年の演技は見事だが、若い無名時代は映画制作当時30歳を過ぎていたので苦しい感じがする。幼女役・少女役の子役も良く、少女時代に大道で「ラ・マルセイエーズ」を歌って歌手への一歩を踏み出すシーンは感動的だった。見て損は無い映画である。なおマリオン・コティヤールは「インセプション」でレオナルド・ディカプリオの夢の中に出てくる自殺した妻を演じている。